「裁判員の判断は神聖にして侵すべからず」

 平成23年2月13日第一小法廷最高裁判決は、
「刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」
と判示した上で、
具体的な高裁判決の事実認定について、逐一反論を加えた上で、
「以上に説示したとおり,原判決は,間接事実が被告人の違法薬物の認識を推認するに足りず,被告人の弁解が排斥できないとして被告人を無罪とした第1審判決について,論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。」
と判示しました。
 
 これは、法律審である最高裁が事実審である高裁の判断を覆すために、「論理則」「経験則」という法令違背をいうために、ことさらに不合理性を強調したようにも思われる内容でした。
 
というのも、「4 当裁判所の判断」の(3)以下の文末を見て行くと、
(正確には、 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120213161911.pdf の判決全文のとおり)
「この言動は,被告人に違法薬物の認識がなかったとしても,必ずしも説明のつかない事実であるとはいえない。」、
「被告人のこの説明もカラミ・ダボットからの依頼であることを積極的に述べなかったことの説明として,必ずしも不合理なものとはいい難い。」、
「本件チョコレート缶について開封した形跡がなかったことから不安が払拭されたとする点が,およそ不自然不合理であるということはできない。」
「客観的事実関係に一応沿うものであり,その旨を指摘して上記弁解は排斥できないとした第1審判決のよ
うな評価も可能である。」
「被告人はチョコレート缶を土産として預かったと弁解しているから,他の証拠関係のいかんによっては,この間接事実は,被告人に違法薬物の認識がなかったとしても説明できる事実といえ,その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない。」
「被告人に覚せい剤の認識があったことを示す方向の事情といい得るものではあるが,被告人はその直前に検査の過程で覚せい剤の写真を見せられていたことも踏まえると,この言動は被告人に覚せい剤の認識がなかったとしても説明できる事実といえ,その旨の第1審判決の判断も不合理なものとはいえない。」
「本件においては,被告人が偽造旅券の密輸を依頼されたもので覚せい剤の密輸を依頼されていないと供述し,実際に偽造旅券が発見されるなどその弁解に一定の裏付けがあるから,カラミ・ダボットから報酬を約束されるなどして依頼を受けたという事実は,偽造旅券の密輸を依頼されていた旨の被告人の弁解とも両立し得るものである。」
「その旨の評価をしなかった第1審判決の判示が不合理である旨判示するが,これらの事実が被告人に違法薬物の認識がなかったとしても説明できる事実であることは既に述べたとおりであり,その旨の第1審判決の判示が不合理であるとはいえない。」
 などとしており、高裁の認定が、地裁の認定に劣っていると指摘できているようには思われなかったからです。
 
 最高裁は、一定の裏付けがあるから被告人の弁解を排斥すべきないとの事実認定を実質的に行っているように思われるわけですが、裏付けの全くない弁解は弁解足り得ないわけで、総合的に見て信用できないとして全面的に排斥することも(もちろん排斥し得ないとすることも)ありえることだと思います。
 少なくとも、高裁は、地裁の認定をはっきりと不合理だと考え、事実認定に至ったわけで、これを法律審である最高裁が、何らかの根拠にかこつけて、実質的に事実認定をするのは良いのか、疑問を払拭できません。というか、裁判員法は、従前の不服申し立て体系を変えていない以上、一審があり高裁があるという建て前であって、実質的に高裁を無意味化するような判例を出すのは、ある意味で最高裁の立法的行為であって、この点でも疑問を抱いてしまいます。
 
 また、補足意見では、「例えば,裁判員の加わった裁判体が行う量刑について,許容範囲の幅を認めない判断を求めることはそもそも無理を強いることになるであろう。事実認定についても同様であり,裁判員の様々な視点や感覚を反映させた判断となることが予定されている。」としています。
 量刑はもともと一定の裁量の幅があり、事実認定の幅はかなり狭いというのが刑事裁判の常識だった(証拠に照らしてより事実に近い判断をするのが、正義にかなうから、でしょう)のですが、合理的な説明もなしに量刑での裁量と事実認定での裁量を混同し(「同様」と述べることで)、裁判員は素人なので判断がぶれて適当になっても構いません、しょうがないですよね、と言っているようにも思われます。
 そうだとすれば、表題のとおり、「裁判員の判断は神聖にして侵すべからず」と最高裁は宣明したように思えてなりません。刑事裁判の新時代が始まるというか、従前の刑事裁判は全部止めてしまえばいいと思うような感覚を覚えました。
 
 ということで、今回の最高裁判決に刺激を受けて、刑事裁判制度の新提案を考えてみました(ついでに、「最高裁判決に見る違法にならない違法薬物の輸入マニュアル」なんてのを書いてやろうと思いましたが、そちらは気が向いたらにします。まあ、薬物密輸の処罰はもう日本ではかなり困難でしょうね、立法的に過失犯処罰を導入するか、被告人側に故意でないことの立証責任を負わせるかしないと。)。
 
1 全ての刑事事件で裁判員制度を取り入れる。
2 高裁(刑事部)を廃止して、不服審査は最高裁だけにする。
 (今回の最高裁の判断によれば、一審尊重であり、高裁が覆す場合には最高裁がきちんと不合理か事実認定をして確認してくれるので、わざわざ高裁で二度目の審理をするのは無駄)
3 ついでに裁判員裁判で、大きな負担になっている理由の記載を止める。
 (結局、一審尊重だし、一審の裁判員の意見も上手にまとまらないかもしれないし無理して変に書いてもしょうがないよね)
4 裁判員裁判への裁判官の参加も止める
 (理由書かないなら裁判官要らないよね。裁判長による訴訟進行と一般的説明のみして、あとは、裁判員だけで判断すれば、十分)
 こうすることで、高給取りである裁判官を大幅に削減して国の経費も削減することができることでしょうし、裁判官による歪んだ判決に苦しめられてきた善良な被告人とその味方である弁護人(弁護士)も大喜びできることでしょう、めでたしめでたし。