小保方問題

徳島新聞に県出身者が何かしらコメントする記事があるが
少し前には、stap細胞の小保方氏の会見に関連して「女の涙」の話をしていたものがあった(筆者は女性)。
要は女は女だということだけで、
努力してもなかなかわかってもらえないが、
涙を見せたら話がすすむ、
小保方氏も涙を流さなければわかってもらえなかったんだ、
女は大変だ、といった感じの話であったとの記憶である。

個人的には、仕事上、相手が男性か女性かは意味がなく、
提出文書の良し悪しや質疑応答の良し悪し(的確、簡潔、円滑など)が評価を決める感覚でいるので
この記事はどうにも腑に落ちなかった。

小保方氏の問題は、マスコミ情報以上には知らないがが、
研究成果が本当かというところも問題だが(再現がなされれば解決するという意味で)、
それ以前の、画像について、加工や違うものを使用したこと、
引用文章を引用だと明らかにしていなかったこと、
再現実験に必要な実験ノートがろくに作成されていないこと
なども問題視されていてそれは客観的な事実の問題だと思う。
泣こうがわめこうが、合理的な説明がなければ納得できないはずである。
それが何か十分な説明があるかのような話で
それが泣いたおかげで納得が広まったみたいな話になっていて首をかしげざるをえなかった。

涙を流さないとわかってもらえない、ではなく、涙を流すことで矛盾や不都合に目をつぶらせてきたのではないかと思えた。

なぜかというと、仕事上、女が泣くときには我が身かわいさの涙を見せられたと感じることが多かったからである。
そして誤解のないように補足しておくと、ときとして男もそんな涙をみせたりもしていたのである。

ともかく、涙は非論理的なものだから、プライベートではさておき、
自分の仕事では役に立たないか有害に近いというのが率直な感想で
涙に着眼した話には全然共感できなかった。