「法科大学院に見捨てられた国際法曹教育」

ビジネスロージャーナルという企業法務系の雑誌を見たら
上記表題の柏木昇教授の巻頭言があったので拝読した。

内容は、要するに司法試験が難しいからダメだという話で、だいたい次のような感じ

法科大学院制度を導入したが、司法試験が超難関で、
しかも旧来の試験と違って法科大学院の場合は、
年齢の問題で大学新卒で大手企業に採用してもらえないから
それだけ競争が厳しくなる。
そうすると、みんな司法試験科目の勉強ばかりやらざるえない。
当初はともかく今は外国語や外国法といった教育ができなくなってしまった。
外国の大学での日本の学生のプレゼンスは他国の学生よりも劣っている。
既存法曹が数の増加に抵抗しており、日本の法曹の国際化推進は百年河清を俟つしかない。


その内容は、例えば司法試験の平易化には合格者増が必要といった面では首肯できるところもある。
しかし、どうしても基本的な部分で疑問がぬぐえないところもある。
それは、司法試験と法科大学院(的なもの)の通過順序を逆にすればいいのではないか、というものである。

なぜなら、法科大学院では大手企業の新卒採用に間に合わないというのなら、
大学在学中(教養課程修了後程度)に試験を受けられるようにして、適宜その進路を
本人の意思にゆだねれば良い。
また、厳しい試験があるから多様な教育に身が入らないというのなら、
司法試験では法曹に必須な知識(どの法律をどの程度習熟すべきかは別問題)を問うことにして
合格者に対して、いわゆる企業法務系が欲する法曹知識を学習させる機会を設ければいい。

これはある意味で旧来の司法試験+司法修習(二回試験)制度に類似すると思われるが、
訴訟実務寄りの司法修習を減らして、逆に契約実務・企業法務等を付加して
2年なり1年6か月の修習とすれば、長期の修習を受けさせられる側がどう思うかは別にして
それなりに法曹の国際化に資することができると思われる。

しかしながら、この種の議論になると、なぜか、現在、大学が主導している
法科大学院という所与の前提があって、それを動かせないように思われる。
そうすると大幅増員論は、既得権益の勢力の定員抑制論を否定するものであるが、
どうも資格の質をどう高めるかという部分には実はあまり興味がなく、
結局、法曹資格を持っても使わない人が多数出るという諸外国の事例や発想を
そのまま導入してよいとするところに帰着するのかもしれない。
そういったことをぼんやりと思う。