【刑事裁判】このまま行く覚悟

「刑事裁判はこのまま行く覚悟を迫られている」と先日のブログで書いた。
 
説明不足だったが、これはいじめ事件に端を発する大津の教育長殺人未遂が
裁判員裁判で裁かれる可能性も念頭に置いていたものである。
 
少年(19)の殺人未遂であれば、検察官送致の可能性もそれなりに高い
検察官送致(起訴強制)
殺人未遂での起訴(傷害への縮小認定もありえる。その場合は裁判員裁判にならない)
 
この場合、裁判員の選出自体も苦慮する(利害関係人を拠り分ける点など)ことかと思うが、
実際に選ばれた裁判員が、現在のネットに漂う、「正義」(道徳感)にかられて、
被告人をできる限り減軽しようと考えることがないか、という問題である。
 
陪審制度でいう jury nullification(「法の無視」)に類似する問題である。
 
本件は、殺人未遂という重大な犯罪(と思われるのに)
日本では量刑の幅が広いので、
量刑にあたって深刻な問題は生じないことが多いが〔殺人未遂の場合、最下限が懲役1年3か月である〕
それでも裁判員たちに、仮に、より低い量刑、あるいは無罪(正義なので)を与えたい
と思う可能性は存在すると思う。
 
そのときに、裁判員が事実をまげて無罪を認定したり、
殺意を認めずに傷害として罰金刑にしたりという結論を出したくなるかもしれない。
従前の量刑なりと差が出る事件について裁判官からの説明もあるだろうが、
最終的に裁判員が多数をとれば軽い結論とならざるをえない。
 
さて、その際に、従前、裁判員裁判に不満の無かった層がこれはおかしいというのか、
不満のあった層がこの場合はいい、と言ってしまうのか、態度を一貫させるのか、それは分からない。
ただ、制度上生じる問題であれば、前回の量刑の問題と合わせて、それを一貫して受けとめるならそうして、
ダメだと思うのなら一貫した理屈で向き合う、そういう態度が必要だと思う。
 
そして、既に裁判員裁判を制度として推進・受容した人達には、これが裁判員制度だと鷹揚に受け止めて
そのまま制度を続けていく覚悟をもってもらいたいなあ、とふと感じた次第である。