ある『聖☆おにいさん』の感想について~底が浅くないか?

>日本の読者が気づかない
>『聖☆おにいさん』の謎
・日本人は宗教にうとい。(例えば、イエスが信仰していた宗教は?で、ある大学のゼミでは、「ユダヤ教」ではなく「キリスト教」と答える人が大半だった)みたいな話から、
・『聖☆おにいさん』には、なぜムハンマドアッラーフは登場しないのだろう。という疑問を出している。
http://diamond.jp/articles/-/23714


まあ、最初のイエスの信仰する宗教は、という問いは、
世界史をまともにとっておらず、宗教に興味関心の薄い人なら
そうなるだろうし、日本人でそういう人は一定数いるだろうな、とは思う。

しかし、漫画『聖☆おにいさん』にムハンマドアッラーフが出てこないことは、
さすがに三大宗教の話だし、この漫画を楽しめる層の読者であれば、誰でも気づいていると思う。
評者の「日本の読者が気づかない 『聖☆おにいさん』の謎」なんて言い方は
随分と日本の読者の知的水準を低く見積もった話だなあと思った。

で、その後に、漫画に出てこないことについて、
エスブッダの会話の中で登場させる形で出来るのでは、と書いているが、
これもどうなのか、と思う。

自画像を描かないことでリスク回避を図れるというつもりだろうが、
侮辱的と捉えられた場合に原理主義者から何をどうされるか分からないだろう
(ある本の翻訳者(日本人)は、その翻訳により原理主義者に暗殺されたと言われているし、
評者も危険性については二つ事例をあげていて一応認識しているようなのに)。
作者自身や出版社の安全を考えれば、分かっていて一切触れないのが安全策というほかないと思う。
というか、コメディ漫画でどうしてそんな危ない橋を渡らなければならないのか、と。

評者が、そういう踏み込んだ表現に価値があると思うなら、自分の作品でやればいいだけで、この漫画をだしに、もっと表現したら、とか、日本人は宗教にうといとか悦に入る必要もないだろうと感じた。