令和3年8月6日夜東京の小田急線で若い女性を狙った無差別的な傷害事件が発生した。
細かい話はさておき、個人的な最大の関心事が検察官の量刑。果たして無期懲役まで行ってくるかどうかである。
10名が負傷とはいえ、半数程度は犯人の行動に動揺して行動した人の負傷らしい。犯人に刺されたという人も最大で重傷どまりで生命に危険があった被害者はいないという。純粋な客観的な法益侵害の程度でいえば案外軽いところにとどまった事案といえそう。
他方で、生命身体がより多く損なわれたかもしれないという危険性は、現実に行われた刺傷行為やサラダ油の散布のみならず、幸せそうな女性を殺害しようという意欲、灯油を撒いて電車内に放火しようとしていた計画などの見込まれた客観的法益侵害の可能性には相当なものがある。
また、そもそもの主観的な捉え方として、無差別的には他人を襲う恐ろしい人とは同じ社会で絶対に生活したくないという直感がものすごくあるはず。
そんなところで量刑を考えると、人が死んでいないのに死刑という求刑はあり得ないと思うが、客観的な法益侵害の量はある程度であるものの、とどまらない危険性について、無差別的な殺傷狙いの犯人として、その更生が認められるか分からないのに、一定期間が経過したら無条件で社会に解き放つことを是認する有期懲役刑の求刑がふさわしいのかどうかいぶかしむ。
検察官が求刑として無期懲役を選択できるか、そしてこれを受けた裁判員が無期懲役を選択するかが刑事訴訟的な観点からの本事案の気になる点というところになるだろうか。