発達障害と量刑

発達障害で求刑超えた判決 評価分かれる
産経新聞 7月31日(火)1時43分配信
> アスペルガー症候群の被告に求刑を超える懲役20年を言い渡した大阪地裁判決は、量刑理由で「再犯の恐れ」や「社会秩序の維持」に強く言及した。有識者は「裁判員裁判らしく、一般の国民感覚に沿った妥当な判決だ」と評価したが、臨床心理の専門家からは疑問の声もあがった。
> 弁護側は公判で「被告が殺意を抱いたのは障害のためであり、どうすることもできなかった」として、保護観察付き執行猶予を求めた。しかし、判決は「犯行の残虐性や結果の重大性から、執行猶予にする事案ではない」と退けた。
> 元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授(刑事法)は「責任能力に問題がない以上、刑罰を決めるにあたって最も重要な点は社会秩序の維持だ」と強調。「検察側の求刑が軽すぎた。裁判員の判断の方が常識にかなっている。裁判員裁判を導入した成果といえるだろう」と述べた。
> 一方、発達障害に詳しい六甲カウンセリング研究所の井上敏明所長(臨床心理学)は「アスペルガー症候群だからといって、すぐに再犯に走るわけではない。発達障害には家族など周囲の理解が必要だ。単に刑務所に長期収容するだけでは何の解決にもならない」と批判した。
 
(再犯のおそれが大きいが、その原因が矯正困難とうかがわれる事案と一般化できるかはさておき)
発達障害者による殺人事件(被害者1名・姉)について
「求刑超え」の判決となったことでクローズアップされた上記判決だが、
まあ検察官の求刑も単体においては参考以上のものではないから、「求刑越え」は脇においておいて
ここでは判決として量刑自体の考え方について変化があったのかと考えてみたい。
 
ざっくりと事情を捨象した殺人・被害者1名の量刑については、
資料等で的確に示せるわけではないが、感覚的にはどうも次のような感じらしい。
なお、従前の量刑判断は、犯情(計画性・動機、被害者の落ち度、行為態様、結果・影響など)
+前科前歴が大枠を決め、
その他の一般情状(反省の有無・周囲の支援〔などによる更生可能性の程度?〕、被害弁償など)によりその枠のどの位置に行くかを決める
(犯情がメインで一般情状は補助的なもの)というのが、大まかな判断枠組だと思われる。
 
刑法の有期刑の上限が改正される前(H17年1月1日より前)は、
通常の有期懲役が上限15年で併合罪加重でも上限20年だったところ、
だいたい 10年 (時間が現代に近づくにつれて上振れしてきたかもしれないが)。
改正後は、通常の有期懲役が上限20年で併合罪加重は上限30年となったところでは、
だいたい 13年前後あたり(もう少し上振れかもしれない)。
 
では、裁判員裁判になってからはどうだろう。、
これは、求刑との比率で行くと、新聞報道レベルでは、どうも、
犯罪全般としては従前の求刑と差がなかったらしい。(だいたい8割)。
性犯罪などは加重方向だったが、介護殺人などで執行猶予判決がいくつかあるが、
それ以外はあまり差がないという記事だったかと思うので、
殺人においても、相場感としては、同じあたりにあるが、幅が広がったというふうに一応は見られる。
(求刑が裁判員の動向にジャストするように即応している場合にはそうはいえないが)
 
では、本件ではどうかというと、
>判決要旨(判決のネット上へのアップは適法かという議論はさておいて、氏名・地名の塗りつぶしをしているあっぷしたものがあったので、とりあえずリンクを貼った。)
 
動機:自殺をするには被害者を殺害しなければならない。恨みに基づく強固な殺意(恨みの形成過程にアスペルガー障害が影響)
被害者の落ち度:なし(被告人の自立支援していた姉)
行為態様:凶器(包丁)を使用、多数の傷=しつような攻撃、血痕が多数・広範囲など=逃げようとする被害者を攻撃
結果:被害者死亡、46歳(若い)、被害者に家庭あり
→被告人の刑事責任は重大で長期の服役が必要不可欠
反省の有無:十分な反省に至っていない。
再犯のおそれ:あり(家族の支援なし、要因であるアスペルガー障害の適切な対応できる受け皿ない点により、さらに強く心配される)。
→(他の裁判との公平性に配慮しても、)許される限り長期間刑務所に収容すべし
(*結論が有期懲役の最長20年であることを踏まえると、趣旨は、上記犯情から導き出した枠の最上限で処遇すべきという意味だろう)。
 これは社会秩序の維持にも資する(*と付随的に補強しているが、趣旨は分かりかねる)。
 
判決要旨は、以上のような内容であり、重大事件にしては短い(判決要旨とはいえ)ので、判決はもっと大部であろうとは思われる。ただ、量刑判断は一応手順に沿ったものだったように思われる。
 
 
なお、今回の判決に対する批判もちらほらと。
アスペルガー症候群や、同症候群に対する家族や周囲の人の適切な対応がなかったという事情が
>犯行動機や事件後の反省のなさに強く影響を及ぼしているのに、
>そのことを量刑上考慮していないこと。
 
アスペルガー症候群や、同症候群に対する家族や周囲の人の適切な対応がなかったという事情
が考慮されていないという点
もっとも、これは、判決は心理なりの形成過程(遠因・過去部分)よりも
>犯行動機や事件後の反省のなさ
という、結果により近い部分の状態(近因・現在及び将来部分)を重視する発想があるのかもしれないのであって、アスペルガーを量刑上考慮していないという批判は、そもそもこれを有利に斟酌すべきか否か(するとしてもどの程度するか)という、価値判断なりの差ではないだろうか。
 
 今回の判決の判断が、本件特有なものかは分からない(特有、例外のものだったとすれば簡単な話。)。
 しかし、もともと、裁判員制度では、一般的な危険感、あるいは、被告人に対する共感の余地といったところで量刑されているところがあり、そこらへんの空気を今回の事件で表すとあんな文章になったとみる余地もあるようにおもえる。
 仮に、それが裁判員裁判にある程度一般的なものであるとなれば、今回の判決を批判するのは、結局、裁判員裁判には司法的にみて問題がある、というところにもつながるのかとも思える。それをさらに進めて言えば、これは、究極的には、裁判員制度の廃止につながるか、あるいは、量刑判断を裁判官に委ねて事実認定を裁判員がするという制度を推すことになるのかもしれない。
 とはいえ、前者は国民参加によるよりよい裁判・国民の信頼をより得られる裁判という導入時の説明に反するし、後者であれば、当時の裁判に対する国民の不満がどちらかといえば専門裁判官の量刑に対するものであった点にそぐわない。
 
 いずれにせよ、今回の判決の捉え方にはいろいろと難しいところがあろう。
裁判員裁判に対する最近の最高裁の立場〔無罪方向の事実認定を覆すにはよっぽどのことがないとダメ〕からすると、量刑という裁量的・幅のあるものでは、原審尊重に傾くと思われ、この判決自体が、高裁で覆る可能性は少ないように思える。)
 
 
 最後に、個人的に、今回の判決についての感想を書くと、やや重いなあというのが第一感。
 だが裁判員裁判である以上、上下に多少ぶれるのは許容範囲と考えるべきだろう。
 
 発達障害の点についてはいろいろ考え方はあるだろうが、裁判体は、アスペルガーという特性をそれほど重視せず、総体としての現在の人格から生じた、許容できない犯行動機、犯行態様、反省の無さ、そして、将来における再犯のおそれの高さといった点を評価ポイントにして、量刑を決めたのだろうかと感じた。
 アスペルガーがそのまま犯罪につながるわけでないとなれば、今回のような重大な犯罪に至ったのには本人特有の個性が強く影響しているのだろう。そうすると不遇な生育環境という点を大きく越えてアスペルガーであることを減刑理由として斟酌しないこともありえなくもないのかな、と思った次第である。
裁判員が不遇な生育環境など、経緯についてはやや冷淡という評もあるそうだ)