マスメディアのフレーズ切り取り戦術

>平岡法相 郵便不正事件無罪の村木さん「冤罪とはならない」
産経新聞 11月4日(金)13時43分配信
> 平岡秀夫法相は4日の閣議後会見で、郵便不正事件で無罪が確定した
厚生労働省元局長の村木厚子さんが冤罪(えんざい)にあたるかどうかの見解を問われ、
>「有罪判決を受けていないという点では、冤罪とはならないのではないか」と述べた。
> これに先立ち政府は閣議で、事件が冤罪かどうかを問う質問主意書に対し
>「法令上の用語ではなく、政府として定義について特定の見解を有しておらず、
>特定の事件が冤罪か否かについても見解を有していない」とする答弁書を決定した。
> 平岡法相は会見で冤罪の解釈について「答弁書の内容通り」と発言。
>一方で、「法務省内部(の報告書)でも冤罪という言葉が使われている。
>そこでは無罪の被告が有罪判決を受ける状況を指していると理解している。
>その意味では、村木さんは有罪判決を受けておらず、該当しない」と語った。
>その後、平岡法相の発言に対し、法務省幹部は「法務省として冤罪を定義づけていない以上、
>村木さんが冤罪かどうかを判断したわけではない」と説明した。
冤罪という言葉を「無実の被告人が有罪判決を受ける状況を指す」と定義している立場の人にとって、
一審判決で「無罪」となり確定した被告人は、「冤罪」と表現されないのは論理必然的であって、
殊更、「○○事件を冤罪とはならない」と取り出して指摘するほどのことは、本来ないと思います。
 
しかし、上記のように、ニュースタイトルとして大きく取り上げるのは、
一般的な用語法として、「冤罪」という言葉が、
捜査機関によって起訴された(あるいは調査対象となり事情聴取や強制処分が取られた)人について、
無罪(ないし不起訴処分)という判断がされた場合を指すことが多く、
そのギャップを利用して、
「無罪になった被告人を冤罪としないのは、全く反省していないからだ、けしからんやつだぞ」
と糾弾する方向に持って行くためでないかと感じられます。
 
民主党あるいは平岡法務大臣を擁護するといった特定の立場に立たなくても、
こういった印象操作によって、対象者を殊更におとしめるようなやり口は、
いかにもマスメディアらしいですが、実にいやらしいところだなと嘆息します。
もう少し、論理や理性に働きかけるような報道をしてもらったらいいのにと思う次第です。
 
 
ところで、より広い意味での冤罪という言葉では、
捜査機関の誤りを許さない、起訴するなら絶対有罪にしろという
公権力の行使について非常に慎重に行えという考え方を前提とするものも
あるように思われます。
その考え方は別におかしいことではないのですが、
一方で、刑事裁判での有罪率が高すぎるという批判がよくなされ、
これを先のような考え方をもつような人も述べる場合があって
かなり違和感があります。
 
「絶対に間違うな(=有罪率100%を目指せ)」、「有罪率が100%近いのはおかしい」という両方の命題を
並べられると、
前者を重視すれば、証拠に疑問があるものは避けるのはもとより、
有罪と思えても何かあるといけないものは無理して起訴しないとなりますし、
後者を重視すれば、ある程度の証拠があって有罪を取れる見込みがあれば
起訴しようということになるのだと思いますので、
起訴する立場の人はどうふるまったらいいのか分からないような気がします。
 
まあ、最近は、検察審査会の強制起訴制度ができたことにより、
検察官は自らの判断ミスを攻められることなく
有罪率を引き下げる機会をえることができるようになったわけで、
上記のような二つの命題を無理なく両立させられるようになって安堵しているのかもしれないなあ
などと変なことを考えたりもします。