JR西日本脱線事故無罪判決の感想について

JR西日本脱線事故の無罪判決の詳細は知らないが、
すでに検察官が起訴した人物の無罪が出ているので、
検察官役の弁護士が起訴したそれよりも周辺の人物の有罪はより難しいだろうt

どうも
当該カーブで特にATS(自動列車停止装置)を設置する義務があったかどうかという争点について
予見可能性があることと、結果回避義務の存在とその違反があることが争われ、
裁判所は、様々な事情から(一般的な危険性=危惧感で足りず、より具体的な)予見可能性の程度は低いとした上で
ATSが法令上義務付けられていないなどの理由で、設置義務を怠ったといえないとした
ようだ。

企業のトップが大企業であればあるほど個人的に過失を予測するのは難しいものであるから、
企業自体の責任を問う法律になっていない以上、有罪というのはなかなか容易ではない。
過失の範囲をむやみに広げれば、なんでも過失になってしまうわけで、
それを避けようとすればきわめて膨大なコストが必要となるが、
社会も個々人に対してそこまでの注意義務を課しているとは思われない。

などと思ったりした。


それはそうとして、
JR西日本の無罪判決に憤る人の寄稿文を見つけた。
論旨の展開といい、法的な文脈を無視した「私の判決」なんてのを書いてしまう
ところが、本人訴訟の当事者っぽい文章で面白かった。

http://getnews.jp/archives/428037
>私の判決
>「鉄道はスピードを出しすぎると脱線、転覆などによって乗客が死亡するのは理論的、
>経験的に紛れもない事実である。従って、「スピードを出しすぎない措置」をしないで
>列車を運行することは死亡することが予見されている状態での運行になる。

>運転手は人間なので居眠り、錯覚などが発生するのも理論的、経験的に紛れもない事実である。
>従って、「スピードを出しすぎない措置」というのは、運転手を教育し、
>運転手が間違いを犯してもスピードを出しすぎない措置をしないと列車の運転をしないのが、
>鉄道会社の社長のもっとも基本的な任務である。

>紛れもないことをせずに放置し、お金のために漫然と列車の運行を続けたので、
>故意による殺人と認定される。」

この理屈なら人が死ぬようなものを作ったり売ったり運用する人は全部故意の殺人犯になりそう。
極論すると、包丁は使い方によっては人を殺せる、人を殺さない人か見極めず、教育もしないで
金のために漫然と包丁を売って実際に人が死んだのだから殺人犯、みたいな感じで。