『われ判事の職にあり』感想

戦後直後に亡くなった山口良忠裁判官(34)の短い生涯を追った書籍。
氏は、戦後、
食糧管理法による統制があるものの、食料が満足に配給されないという状況下、
横行していた闇米(食料)等の経済事犯を裁いていたが、
あるとき、闇米(食料)を飲食しないことを決意し、
その後、職務に精励するうちに、栄養失調等により亡くなった方である。

法の順守か生命かという中で、特に法を守れという裁判官という職にあった方の
ジレンマ、葛藤は大変なものであったと思う。
特にそれが一瞬の危難ではなく、緩慢な死への道だということには
葛藤が深いと思われた。

へんなところで感心したのは、
裁判官という職業にある人の34年の人生であっても、
一冊の本になるほどの資料があるだった。
氏が価値ある充実した日々を送られていたのだろうと思えた。

また、新聞記事なり世論なりの不正確さ、印象論という古くからの問題について
改めて、前提となる事実を大事にしてみることの重要性を思った。


さて、この件については、頑迷だとか、貴い精神だとか、さまざまな議論があるが、
巻末で筆者が
「【かりにあなたが裁判官であるとして、】終戦直後の食糧難の時代に、
法律で禁じられていたヤミ米を食べないでおしとおしたため、栄養失調になり死んでしまった
裁判官がいました。あなたはこのような裁判官をどう思いますか」
との問いを投げかけている。

私は、いろいろと思考を巡らせてみたが、
結局、そのときになってみないと分からない、という
つまらない答えに行きついてしまった。
この時代だと、食べる、裁判官を辞して食べる、食べない
(、誰かのごちそうになる場合などに限って食べる)等の選択肢があったようだが。
他の人はどう考えるのだろう?

ちなみに、【 】部分を除いた問いに対しては
)[Г鮗蕕襪發里呂修里らいでなければならない。たいへん立派である。15%
△いら法律を守る職業とはいえ、すこしゆうずうがきかなすぎる。67%
死ぬまで法律を守るなどというのは、バカげている。16%
ぬ飢鹽悊覆鼻。押
という結果だったそうだ(昭和46年実施、日本文化会議「日本人にとって法とは何か」世論調査)。
現在、同じような質問をしたらはたしてどんな結果になるのだろうか、それも興味深い。

そのほか、この記事に出てくるエピソードで
氏の死去後、栄養状態の良くない裁判官のためにと
女性が最高裁を訪れ、卵を渡して去っていったということがあった。
そのときに三淵最高裁長官が
「『よろしい。では、この三淵個人に下さい。裁判官という者は、
人から物など貰うわけにはいかないのだが、
あなたと私とは、いま、お知り合いになった。三淵個人がいただきましょう。』」と話したという。
この長官のセリフ、物のちょうだいの仕方が、いかにも日本の裁判官らしいと思われ、余談だが紹介したい。