移動の自由の制約の濃淡と監禁の継続的成立の成否

<想定される事案>

 ホテルの一室に被害者一人が押し込められたという状態でいたところ、犯人に呼び出されて隣の部屋に被害者が一人で赴く。その部屋を出て隣の部屋に赴く際のその状態。

 ある自動車に押し込められて両側に座られている状態から、駐車場にとまり別の自動車に移るよう促され、運転手は元の車にとどまり、残りの犯人たちが先に全員別の車に乗り換えて、被害者が車外を一人で移動し、別の自動車。その車外を移動する際の状態。

<問題意識>

 全体的に監禁と判断できそうな状態であっても、状況を子細に検討すると制約の程度には濃淡があり、中には単体で見れば監禁の程度に達するほどとは見がたいものもある。物理的な監禁状態から一時的な離脱とでもいおうか。そのため、断続的な監禁の成立にとどまるという主張が出ることが理論的には考えられる(量刑上はさしたる意味はないが、極限的な事例では共犯の成否にかかわるかもしれない)。この点についてどのように理解すれば良いのか。

<参考文献等>

 この点を特に論じたものは見かけない。北九州監禁殺人事件は、様々な拷問等による精神的な支配を施したうえでの外出があっても監禁の継続を肯定しており参考になると思われる。

<検討>

 監禁の手段は大別して物理的拘束と心理的拘束の2つがある。ただ、これは構成要件上の分類ではなく講学あるいは実際上の分類である。したがって、上記の断続的監禁の問題も、要は脱出を不能ないし著しく困難とする程度の状態が被害者にあるかどうかがを見ればいいことになる。断続が意識される事案は物理的拘束の断続が目に付くものであるが、それだけに注目することなく心理的拘束をも含めた全体としての脱出不能・著しく困難を検討すればよいということになると思われる。

 具体的な着眼点を考えるにあたってまず踏まえておくのは、この問題では前後は監禁と見られる一定の状態があることである。一度監禁の状態に陥ったものが自由になった後に自発的に監禁状態となるような場所へ赴くことがそうそうあるのか、という観点であろう。(また、全く自由な物を監禁するのに必要な作用の強度と、監禁を継続するのに必要な作用の強度では後者の方が少なくて済むだろうという考えもあるかもしれない)

 したがって、従前の監禁の程度によりどれだけの心理的な圧迫があるのか、明白な監禁間の時間的な長さ、その間の状況(容易に監禁を再開しうるかどうか)などにもよるが、現実には、相当多くの事案で監禁は継続していたとみるのが自然であり、いったん監禁が途切れたうえで新たに監禁が始まるという事案はかなり少ないのではないかと思われる。