昨年は勾留中、保釈中の被告人の逃走の事案が続き、最後の最後で保釈中のカルロス・ゴーン氏の海外逃走が発生し、捜査における身柄拘束の在り方が世間の耳目を大いに集める状況になっている。
今後、そのあり方について議論がされると思うが、結論的には、制度が変わらない限りは現状の身柄拘束の運用は変わらないか、ますます解放方向で進むと思われる。
1つめは理論面での純化。罪証隠滅を中核とする法文の在り方を突き詰めると、その罪証隠滅の対象となる事実は一般の人が思うよりもかなり限局されていく。また、逃走についても、保釈保証金で賄えない高度の逃走のおそれのみでは保釈を認めないことが許されない(権利保釈)制度下では、他の事情がある場合(裁量保釈)でも逃走のおそれのみでどこまでも保釈を許さないことはかなり難しいと考えられる。
2つめは国内的に続いてきた人質司法批判、国際的な潮流・批判の存在。人質司法という批判への応答が近年の継続した課題となっており、また、他の国と比べて身柄拘束期間が長いというのは一面事実で一面誤りではあるが課題として取り上げられている。この傾向は先の理論面を背景に、運用として継続していくと思われる。現実に起こる罪証隠滅や逃亡は、不幸な事故として、その他の大多数が平穏無事に終わる点が今後も引き続き強調されていくだろう。
したがって、もし一般市民が感覚的・情緒的に納得できる身柄拘束の運用となるためには、制度的な改正が不可避と考えられる。例えば、勾留期間に関する重罪軽罪の区別の導入、勾留理由に再犯のおそれの追加、権利保釈除外事由としての高度の逃亡のおそれの追加、所在探査装置等の条件を付加することが可能な予算措置、保釈中逃走の強制捜査措置導入などにより、一方ではより柔軟な保釈(低額での)が、他方でより厳格な保釈が可能になると思われる。