裁判員制度の誤解

週刊バンチなる漫画雑誌には裁判の傍聴記がのっています。
その雑誌自体をあまりまじめに見ていないので、
普段はどんな雰囲気の話なのか分かりませんが、
今回は裁判員制度に言及していました。

その中で、裁判員制度の導入の理由について
公式見解に対して否定的な見方をした上で、
「裁判官の不足」、「裁判の長期化の解消」の2点を
真の理由だろうとしてあげていました。

これを見て、私としては、がっくりとしました。
裁判傍聴などをしているので比較的裁判になじんでいる方でしょうが、
公判の法廷部分だけしか見ていないのでは、やはり限界があると思いました。

上にあがった2つの理由は、それぞれに論難できます。
まず、「裁判官の不足」を補うために裁判員を入れるという理由ですが、
裁判員制度が導入されても、
裁判官は実際には公判前整理手続などの諸手続に労力を割かれますし、
裁判官3名、裁判員6名という構成は裁判官の人数を減らしているわけでもないため、
単純な意味での労力削減があったとみることもできません。
また、例えば、医者の手術に一般人が入ったり、新聞記者の原稿書きを素人と共同してやると
それぞれの職業の方の労力が削減されるという姿は思い浮かびません。
医者・記者に対して、一般人からあれこれ疑問、質問が出て、その説明に一定の時間がとられるため、
「手伝ってもらってありがとう、おかげで手術(原稿書き)の労力が短縮できました」
とはまずならないでしょう。
もし、単純な意味での労力の減少があるのであれば、
それは裁判員制度に伴って裁判自体が簡素化されたことに原因するといった方が
より妥当なものがほとんどだと思います。

また、「裁判の長期化の解消」ということですが、
争いがある事件では、実際には公判前整理手続で激しい争いが行われ、
整理が非常に長引きますので、本当にどこまで短縮できるのかは分かりません。
証拠整理のしすぎで、的確な審理に必要な証拠が不足しているとの指摘をされた裁判例もありますし、
このごろは、拙速に対する警鐘も鳴らされているわけです。
また、そもそも、日本の裁判はそんなに遅いのかという問題もあります。
超有名事件で争いが長いものは遅いのですが、一般の事件ではそれほど遅いわけではありません。
争いの範囲が広くて深いものは準備にも時間がかかるため、精密司法のもとでは、特に長引いたと見ることができるのではないでしょうか。
この点、精密司法から核心司法へと言われており、裁判員制度に伴って認定・判断等を軽くすることで
短縮が図られていますので、これまた上記のとおり、
裁判員が参加すること自体の効果ではないということになります。
(もちろん、裁判員に難しいことを言っても分からないから
 簡単にしようというのは必然と言えば必然なので、
 そこを強調すればある意味裁判員制度を導入した効果ですが、
 裁判員制度を導入しなくても思考転換さえできれば、同じ効果は得られたため、
 因果関係に疑問があって牽強付会気味と思われます。)

個別の理解に対する疑問に加えて、さらに問題に思うのは、
メリット・デメリット論で事象を説明付けてしまう点です。
極端に言えば、犯行によって一番利益のあった人が犯人に違いないという思考です。
もちろん、前提条件(状況)を設定すれば、この理屈が当てはまる場合もそれなりにあると思いますが
この思考に強く準拠すると、
不合理な動機(犯人の偏った主観的利益)に基づく犯行や
理論的な正当性に依拠した考え方(疑わしきは被告人の利益に)を
正しく把握することが難しくなるように思うわけです。

漫画の話から少しそういったことを思ったので、書きとめておきます。