「東大までの人」というほどではないかもしれないが、何というか

勉強がとてもよくできる優等生の、仕事と仕事向き合ってからの苦悩ということで、よく共感できる内容でした。この方については、従前、実のところ”輝かしい経歴を持つ”という印象を受けておらず、ころころと仕事が変わって、表面的な正論よりも足元のしっかりした裏付けがあるのか、という疑問が強かったです。そのため、今回の話を読んでやはりそうだったという感想が出ました。仕事ができる人であったらよかったのにという、自分自身に対する嘆きは、少なくない東大出身者にある問題なのでしょう。「東大からの人」「東大までの人」「東大だけの人」という表現もときどき聞きますが、知的な能力と受験の能力とがかなり乖離している部分があることがこの種の悲劇を生んでいるのかと思います。だからといって何をどうすれば良くなるというわけでもなさそうですが。結局はそれぞれが、ただ、現実と向き合うしかないということでしょうか。この方はそれをしっかりと行ったということで立派なことだと思いました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7f34bf7447e7863c5c432ad6d9693a1d63bb4eca

山口真由 東大「全優」で卒業も仕事ができず泥沼の日々
6/22(水) 10:33配信 日経xwoman

連載「20代でやめたこと、始めたこと 30代でやめたこと、始めたこと」では、活躍する先輩世代の女性に20代、30代をどう過ごしたか、何に壁を感じ、どう乗り越えたか、やめてよかったと思っていること、始めてよかったと感じていることなどを、根掘り葉掘り伺います。第2回は東京大学法学部を全単位「優」で卒業後、財務省の官僚を経て、弁護士になり、2015年には米ハーバード・ロースクールに留学し、ニューヨーク州弁護士に登録……という輝かしい経歴を持つ山口真由さんが語る意外なストーリーです。

●キラキラに見える人生 実際は泥沼だった

 「東京大学法学部を『オール優』で卒業し、財務省の官僚へ」「米ハーバード・ロースクールに留学後、ニューヨーク弁護士に登録」……と聞くと、公私ともに完璧で、絶好調続きの人、というイメージを持たれるかもしれません。でも、実際の私は、ずっともがきまくって何とか今まで生きてきたという感じなんです。

 20代にやめたことは、何といっても入省2年目に財務省を辞めたこと。そして、始めたことは「自分探し」でした。 

 私の半生を思い返してみると、大学卒業まではこの上なくシンプルで「勉強ができた」の一言に尽きます。そんな私が財務省に入り、残酷な真実を突き付けられました。それは「自分がそれほど優秀な人間ではなかった」ということ。

 そう。仕事ができなかったんです、私。

 と同時に、それを絶対に認めることができなかった、という……。

 入省時は意気揚々でしたよ。東大での成績は「ゼンユウ(全部『優』)」で卒業しましたし。財務省での配属部署も2階の主税局。2階にオフィスを構える主税局や主計局、文書課、秘書課などが、省内では王道で花形と言われていました。「はい、満点の女、来ましたけど!」ってドヤ顔していました(笑)。

 でも、徐々に自分の実力のなさを感じる経験が続くようになりました。例えば、同期の一人に、コクイチ(国家公務員Ⅰ種試験)の順位が3桁だった男性がいました。私は21番だったので「私のほうが優秀」という自負があり、彼に対して一方的にライバル心を持っていました。でも、気づいたんです。彼が時々、私の仕事のミスをさりげなくフォローしてくれていることに。

 私、ミスだらけだったんですよ。

 任される仕事の範囲がまだ小さかったのでそんなに大きなミスこそありませんでしたが。一番大きいミスは、忘れもしない「鍵事件」でした。

忘れもしない「鍵事件」
 財務省のオフィスには機密文書がたくさんあったため、職員は毎日、職務室に鍵を開けて入り、最後に帰る人は鍵を閉めなくてはいけませんでした。朝は必ず入省1年目の職員が鍵を開ける決まりでした。

 入省して半年ぐらいたった頃でしょうか。その日は私が朝一番に鍵を開けて、保管場所に返した……はずだったのですが、その後、鍵が無くなってしまったのです。それなのに、私は大事な鍵を無くしておきながら、反省せず、罪の意識も感じず、「私という人間の価値を考えれば、鍵1本くらい、どうってことない」と思っていました。財務省官房長に呼び出されて怒られても、「はい、はい」と聞き流して、「鍵を無くしたぐらいで、私という人間の価値が傷つくことでもない」と平気な顔でした。

 でも、その後3日間ぐらい、近くの席のベテラン職員たちがよく席を空けることに気づいたんです。「どうしたのかな」と不思議に思っていたところ、彼らが1週間分の財務省のゴミをひっくり返して鍵を探していることを知りました。そのとたん、ものすごく申し訳なくなって、ショックで涙が出てきました。職務室には重要なデータなども保管されているので、鍵を紛失したらそれこそ一大事。「私、悪いことをしてしまったんだ」と、やっと理解したんです。そして、初めて「すみませんでした!」と頭を下げました。

●もしかして私、仕事ができない?

 その辺りから、「私って、もしかして邪魔?」「仕事ができないの?」と感じるようになって。しかしその一方で、「そんなはずはない! 私はキラッキラで財務省に入ってきたんだから」と、その事実をなかなか認められない自分もいました。学生時代を通して私の核には「自分は優秀である」という強烈な思いがあって、それが邪魔して、素直に周りに教えを乞うことができなかった。「こんな優秀な自分を認めないなんて、組織のほうが間違っているんじゃない?」という不満を抱く始末でした。

 あのときはとにかく自分を大きく見せたかったし、自分が優秀な人間であるというイメージを壊したくなかった。だからその後も、できるだけ早く仕事で頭角を現して、自分にとっての「王道」――、つまり「自分が理想とする、物ごとが進むべき正当な道」に回復したいともがいていました。

 でも、残念ながら、その線は薄いことが分かり始め、それが確信に変わる前にゲームセットをして、別の道を模索しなくてはと考えました。入省2年目の秋のことです。

(以下省略)