裁判官の出世、
極めて狭き門である特定高裁の部総括・特大庁の所長、あるいは高裁長官、最高裁判事などというのは、
エリート中のエリートであってともかく優秀なごく一握りの人間がなるわけであるが、
もう少しそこそこの出世、例えば、部総括・所長あたりとするとなると
供給される人数の多寡にも左右されることが多くなると思う。
この供給人数、すなわち毎年の任官者(採用数)は、出世競争の前提となる数字である。
これについて近年の数字を一覧するとなかなか興味深い状況がある。
<裁判官の任官数>
53期 82人 ←修習期間が1年6か月間に短縮した初年度(2000年10月任官)
54期 112人
55期 106人
56期 101人
57期 109人
58期 124人 ←法科大学院開校直前期(2005年10月任官)
59期 115人 ←法科大学院開校初年度
60期 118人(旧52人、新66人)
61期 99人(旧24人、新75人)
62期 106人(旧7人、新99人)
63期 102人(旧4人、新98人)
64期 102人(旧4人、新98人)
65期 92人 ←司法修習の給費制廃止・貸与制開始の初年度(2013年1月任官)
66期 96人(うち予備試験ルート5人)
67期 101人(うち予備試験ルート12人)
68期 91人(うち予備試験ルート7人)
69期 78人
すなわち2001-2016までは、ピークの124人(58期)は群を抜くが、
それ以外も100人前後、少なくとも90人以上の任官者を出してきた。
それが今年(69期)は80人を割るということで、53期以下の80人割れとなる。
したがって、2001-2016世代はだいぶ人数が多い、裁判官の団塊世代的な時代となり、
それに伴って、昔のもっと採用の少ない時期(正確な数字はまた確認するが50人前後くらい?)
と比べると部総括や所長になれる人数も相当に減るのだろう。
仮にだが、昔の少数採用では同期の8割が部総括、4割が所長になっているとしたら
団塊世代(仮)は、同期の4割が部総括、2割が所長になれるにとどまるわけだ。
それでも多い数字に感じられるが、昔の感覚からすれば大違いだろう。
また、その場合には、出世しない人をどのようなポストで遇するかという問題が出そうだが、
これは、民間企業における昔の処遇の方法などを研究したらいいのかもしれない。
なぜ、採用が減少したのか、これについては裁判所の抱える事件数が減少したのだろうと
想像はできるが、データを時系列的に並べて確認してみないときちんとはいえないだろう。