安保法制

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150821-00000142-jij-pol
>「武藤議員」「防衛資料」で火花=安倍首相、守りの答弁―参院特別委
時事通信 8月21日(金)19時37分配信

安保法制については、賛否はさておき、
集団的自衛権」許容の解釈の可否という本質的な問題と
想定している(説明に使っている)事例が本当に集団的自衛権から説明しないとならないものなのか
といった議論がいろいろとあると思う。

しかしながら、法案についてはしばしば
本質からそれた話がされてしまい
何のために審理しているのだろうかという気にさせられることがないでもない。
最近の「防衛資料」(法案成立を前提とした資料作り)問題は
個人的にはそういった類のことかと思う。

本質的でない議論で引っ掻き回して本体をつぶすという手法が
およそ否定されるものではないと思うが、日本の国会はずっっっとそんなことを繰り返してきた
イメージがあって、あまり感心できないでいる。
政府が成立を目指している法案について、事務方(役人)が資料をあらかじめ作成しておくのは
職責というべきもので、重要な法案についていまだ成立しないから
一切成立後のことは考えないというのでは、
実際の運用などを考えない無責任な態度にすぎず、かえって非難の対象ではないかと思う。
国会議員は、役人が道具であるということを踏まえて
もっと、大事な話を討議してもらいたいものだと思う。

他方で、「武藤議員」(反対者を「利己的」と糾弾、未公開株をめぐる金銭トラブル)問題は
もう少し関係の余地はあるかなあと思う。
法案成立の議員の発想を垣間見るのは意義のあることだし
そこに問題性が顕在化していれば責められるところかと思う。
まあ、金銭トラブルは一般的な議員の資質であって
法案の成否という点との関係では、基本的にはあまり相手にすべきものではないかと思うけど。