産経新聞記者が韓国の新聞社の記事等をもとにして
韓国内の惨事における大統領の所在問題を扱ったことが
名誉毀損として刑事事件に問われた裁判の判決が先日なされた。
政治家に対する批判記事が刑事裁判に発展すること(起訴)にまで至った点は
まず最初に民主主義国家における権力者の自制というか権力側の節度みたいな感覚は
どの程度あったのかが、記事の内容との関係で気になるところである。
よっぽどの事実無根でかつ極めて侮辱的な表現がされたという極限状態を考え、
それでも起訴するかどうか思い悩むほどの謙抑さがあるのがあるべきところかなあと
漠然と思う。
次に判決で「無罪」となった点。判決理由には詳しく接していないため妥当な論理構成かは評価できないが
他の新聞社の記事を参照しつつ論評を加えたというのが概ね筋立てだとすると
元になる新聞社が起訴され有罪と認定されてもいない中で、より遠い立場にいる者が
有罪になるのはいかにもおかしな話なので、無罪という結論は妥当なように思われる。
ところが、この事件にはさらに、裁判の最終段階で、裁判長が
韓国の外務省の要請
(「日本各界から善処を求められており、要請を真摯(しんし)に考慮してほしい」)
を読み上げたということがあった。
司法が行政権から独立しているのは、おそらく現代の民主主義国家の構成要素といえる部分であって
少なくとも日本の裁判所が、
名誉棄損の事件で政府の方針などを裁判手続の中で取り上げることは
考えられない。
司法の独立が不十分という点を浮き彫りにさせてしまっている点で
韓国における司法の水準に一定の疑問符が付けられてしまうのではないかと思う。
つまり、無罪判決が出たことは良かったことと思うが、
起訴権限の適正行使、司法の独立の観点について
心配させられる点が出てきていることは他国の司法のことながら
不安な気持ちにさせられてしまった。