裁判官の出世コース

 裁判官の出世コースについてちょっと考えてみようと思って検索してみました。
 
 福岡県弁護士会のブログ(平成22年12月8日)?で次のような論文を紹介していました。
>「幹部裁判官はどのように昇進するのか」(http://www.fben.jp/saibanin/blog/2010/12/参照)
 そこでは
最高裁判官に到達する出世コースには三通りある
>①事務総長ルート 
>②司法研修所長ルート
>③首席調査官ルート
 という3つのルートを挙げていますが、
 実際には、3つとも最初のルートは同じであって
>「東大・京大卒→最高裁の局付および/あるいは課長」
ということだそうです。
 「および/あるいは」、ですから、局付を経ず、後に課長などになって出世コースに乗る人もいるわけですが、
どうやら、若いうちに局付になるのは幹部候補生の一つの指標であるということのようです。
 
 ここで、法曹界人事(最高裁人事)というe-hokiの頁をみるとくしくも平成22年12月8日付けで、
>人事局付 伊 藤 拓 也
>民事局付  奥  俊 彦
>家庭局付 郡 司 英 明
という、特例判事補(満五年以上の法曹経験)の要件を満たしたばかりの若手(同時期任官者)3人が
局付に異動しておりました。
(なお、e-hokiの裁判官検索で確認すると、初任明けの異動先がはっきりしないので
 外部研修〔2年留学など?〕に出た後に東京地裁に配属されたのだろうと推測されます)
 
 これは、上記の論文を踏まえれば、同時期の裁判官中の幹部候補生ということになるのだと思います。
 今後、彼らが着実に主要な職務を歴任するかどうかで、上記の論文の分析の正確性・妥当性が
ある程度以上に明らかになると思われ、興味深いです。
 
 ところで、裁判官の出世コースに絡む裁判所批判の一つとして、‘司法官僚’による統制というものがあげられます。私はこの見解は現象面での正しさがないとは言いませんが、必ずしも当たらない部分も大きいのではないかなあと思います。管理の実態等については客観的な資料も存じ上げないので、外形的・抽象的な思考で申し訳ないですが、管理職は管理能力がある人がやる、というのは自然なような気がするからです。
 そもそも、裁判所のような鍋蓋型組織では現場型の仕事が多く存在する一方で、司法行政的な役割を担う人数はごく限定され、その素質の有無について判断する機会は多くないわけです。裁判所の機関部分には司法行政、教育、調査・分析能力など、通常の裁判と異なる資質も求められたり、対外的に恥ずかしくないレベルと考えると留学経験と外国の修士なり博士を有していることも重要な意味があると思われます。
 したがって、最終的に幹部連中に、司法行政経験豊富な者や海外での留学経験(2年間)がある人が多くなるのはむしろ自然なことのように思えるわけです。

 もちろんそうだとしても、途中段階での幹部候補生はあくまで候補であって本当に幹部になるかは分からないのだろうと思います。実際の場面で役割を与えていく中で見えるものというのは確実にあって、そこで改めてふるいにかけられるわけですから。
 例えば、書記官とおぼしき方のブログの中に『「有名人」裁判官対策』という記載がありました。(http://blog.goo.ne.jp/sleepingcat_2006/e/ae811e6ab8ffcf19e17945bc1ccc5626参照)
 そこのコメントで、裁判官と組むのは初めての新米書記官が単独事件経験は初めてという局付経験裁判官と組み合わせになったところ、その裁判官が判決起案を前日や当日ころまで出してくれないし、判決言い渡し時に弁論再開を半数したり、判決調書の決裁は週1回しかしないなどということで、精神的にまいってしまったという話がありました。
 その裁判官が今どうなっているか分かりませんが、そういうことであれば多分出世コースのままということはないのではないでしょうか?
 
 とりとめもなく書きましたが、実のところ、裁判官の「出世」って何なんでしょうか?給料が他の人よりも多いのは出世なんでしょうが、第一審での裁判官の方が仕事として良い、立場が上になっても負担に見合った給料にはならないという話もありえるでしょうし、どこまでみんなが「出世」を従っているのかという疑問もあるわけです。