能力の至らなさの嘆きに

>「10社以上でクビ」発達障害46歳男性の主張~上司から「高卒より使えない」と叱責され続けた 10/16(金) 5:21配信

>東洋経済オンライン
> 発達障害の人の生きづらさについて記事を書くと、時々「発達障害の上司や部下を持つほうの身にもなってほしい」といった感想が寄せられることがある。そうした主張を理解できないわけではない。ただ、発達障害の同僚を持つ大変さに共感できたとしても、結局、社会がたどり着く先にあるのは“排除の理論”なのではないか。

> アキオさんは記事を通してこう伝えてほしいという。

> 「面倒かもしれませんが、社会に居場所をつくってもらえると助かります。私のことを理解してほしいとは言いません。せめて同じ場所で息をすることを許してほしい」

 

 個々人について、その能力に応じた仕事、職業が用意されていたらそれは何よりだと思う(もちろん、反社会的な性格の人なんかはどうしようもないが)。ただ、現実にはそんな簡単に能力に応じた仕事や職業は作り出すことができずに、不向きなことを不向きと分かりながら、どうにかこなす、こなせない、ということは本当に大変だと思う。

 ただ、一般的に、だれもがこなせる仕事は安いし、限られた人にしかできない仕事は高い。不向き不向きで、よりできる仕事を探していったとしても、その先も厳しいものがあるということに想える。

 とどまろうが、にげだそうが、生きるのが大変な人はどこまでいっても全く楽にはならないのかもしれない。