刑法における故意の整理

刑法では故意犯、過失犯の区別があり、法定刑も大きく異なっている。
したがって両者の区別はきわめて重要である。
この故意の中身については性質の異なるものが混在していると現在では理解されている。
大まかに分けると、犯罪の結果発生を意欲しているか、犯罪の結果発生を認識認容しているかである(後者はその強弱により確定的故意、未必的故意に分類される)。
これを立証的な視点からみると、媒介物に火を放ち建物が焼損する危険性を生じさせた事例で放火の故意を検討する場合を例にとれば、
前者は、建物の所有者や居住者に対する恨みなどの感情的な動機があるか、
あるいは保険金詐欺や納期徒過を誤魔化すなどの経済的な動機があるか、など
犯人の動機を推認させる間接事実の有無やその評価が問題となる。
他方、後者は媒介物に点火する際の客観的状況と犯人の認識、炎や媒介物を含めた燃焼物に対する知識・経験則などが争点となる。
(危険性が十分に認識認容されていると理解できる状況なら確定的故意、ある程度認められるなら未必的故意ということになろう)

現状の理論的な整理は以上のようなところになると思われる(佐伯仁志総論参照)。

※意欲があっても犯罪が成立しない場合→不能犯(実行行為性の欠如)
※未必的故意と過失犯の区別(確定的故意と未必的故意の区別はあまり意味がない。強弱に応じて量刑に差が出るだけ)


裁判にしばしば現れる弁解を次にみていきたい。
「頭が真っ白になって覚えていない」
→挙動は頭の認識・要望によりなされる以上、客観的な事実(例・滅多ざし)から認定することで足りる。
真っ白が真実だとしても犯人の頭に銘記されなかっただけとみれば足り、当時思考が消失していたと考える必要はない。

「(放火の認識認容が問われて)燃え移るとは考えなかった」
→上記同様客観的状況から故意の有無を認定すれば足りる。
考えなかったは行為の危険性自体よりは危険性に対する対応(意識化)が対象と理解すれば足りる。
(故意ありの場合、行為の危険性を考えなかったのではなく危険性を意に介さなかったと理解するのが相当)