表現者の誠意とは2

森下忠氏のコラムからもう一つ。
判例時報2077号27頁)

1976年8月のカラカ会議でのエピソードとその後の出来事について。

ポーランドワルシャワ大学の教授が日本の「Eta community」を取り上げて
次のような発表をしたという。
「教授が指摘したのは、米国における黒人差別、
インドにおけるカースト制度の下での不可触賤民に対する差別とは異なった原因と形で、
「穢多社会」(部落民)が一般国民から差別され、きらわれ、
社会の最下層で暮らしていることであった。
そのことが米国と日本の学者らによる著書に記述されている、というのである。」

森下氏は、これに対して発言を申し出て
「教授が話したことは、日本における現下の情勢から大いに隔たっている。エタ(穢多)といわれる
身分制度は、十七世紀後半から十八世紀前半のころ、封建制度の一環として生まれたものである。
その制度は、明治維新(1868年)後、廃止された。1946年の新憲法下では、すべての国民は
法の下に平等とされ、義務教育(9年間)を無償で受けている。公平な試験によって
だれでも公務員になれる途が拓かれている、など」
と現状を述べたという。

そして、森下氏は、帰国後、詳しい手紙を教授に送ったところ、
しばらくして、彼から「よくわかりました。」という返事の手紙が届いたという。


その後、森下氏が、カラカス会議の要点を朝日新聞の文化欄に載せるにあたり、
朝日新聞大阪本社のX記者に会った際、次の二つの条件を厳守するという条件付きで
上記スピーチの話をしたという。
それは、
「(1)読者の一部には誤解する者がいるかも知れないので、『絶対に』新聞記事にしないこと、
(2)日本の部落問題を扱った学術書が米国で出版されているとのことなので、
 朝日新聞の在米特派員等のルートを通じて早急にその本を入手して、私に届けること」
であり、「X記者は、二つの条件を守ることを約束しますと、何度も言った。」が
「部落の実態伝えぬ論文 外国学者が発表」という新聞記事にしてしまい(そして波紋を広げた)、
学術書も届けずじまいであったという。

また、森下氏は、別に学術書を探し出して読んだところ、
当該部分は偽名で学術論文を公表していること、
良心的な学術書であるか疑問であることなど
を指摘している。


私は、上記の話を読んで、森下氏の新聞記者への怒りは大変よくわかる一方、
自己が若干接した新聞記者の方々の様子に照らしても、
所詮、新聞記者は人の注目を引くことを最優先してそれ以外は目もくれない人種だと
思うべきなのだという感想を強くもった。

彼らに語ることはすべて記事にされる危険性をもっていて
それを踏まえたうえで話をしないといけないのだろうと思う。
(誠意をもって自己の発言を遵守することが期待できないのはかなしいことだが。)

いずれにしても、文章を公表する者は自分の文章がいかなる影響を与えるかについて考え
誠意をもってあたらないといけないのだろうなあと思った次第である。