日々これ勉強、少年との接触にあたっての態度を考える

事件を起こすような少年に対してしかるべき立場の大人として会う場合にやってはいけないと思うこと。
「理不尽に厳しい」
「迎合的に優しい」

事件を起こすような少年には様々なタイプがいるが、一方でルールに対する無頓着さが目立つ子もいれば、
厳しい締め付けに対して反発しているような子もいる。
それに対する大人の対応や反応は様々にありえるわけだが、
一定の立場を取って接する場合、最大公約数的に良いのは、
「筋が通っていて、少年の問題性を的確に指摘できる」(結果として問題性のある少年にとって厳しく映る)という大人像だと思う。
というのも、どういう少年であって、その年齢的限界から、経験の浅さ、視野の狭さ、物ごとに対する甘さなどが存在しており、その点を明示的黙示的に気付かせられるのが良いと思うからだ。
したがって、これは、社会における一定の適切な基準の体現者といったものに近いものだと思う。

では、そういう体現者として接触することができるかというと、実際には難しい。
なぜ難しいかというと、話を聞いているうちに、あれこれ不合理なことやいい加減なことは出て来てしまうので、それをついつい指摘してしまう。それは、実際には小さいところをあげつらってしまう結果になって、少年に対する厳しさが社会規範の提示、理不尽というか単なる存在や人格否定になりかねない方向に陥ってしまうことかと思う。
逆に、厳しくし過ぎた、少年の心情をくみ取り損ねたと思った際には、よく話を聞いてやろうという姿勢を工夫しようとする。そうすると、つい、問題点の指摘をしそこなったり、いささか甘い基準で事情を聴取する態度になってしまい、結果として、迎合的な優しさになってしまう。
そうならないように、しっかり頑張るのが大事だと思い、日々適切な対応を意識する。

なお、自分にとっては難しいと感じるのだが、他の人にとっては容易であるかもしれない。


PS 技術・形式面で考えると、語彙力、表現力を磨き、表現水準のレベルを相手に合わせて上手に変えることも重要だと思う。言わんとする内容が的確に少年に伝わってこそ上記の人格的態度も少年に伝えられるから。また、声の質・速度なども、過度に高低にならず、早口にならずといったことも同様であると思う。さらには、手の置き方、顔の向き、その他挙動が醸し出す雰囲気もまた重要で、適度な緊張がありつつ、落ち着いたものが出せれば良いのだろう、実際には、センスがなく努力で達成しようとすると非常に高度な所作が求められて大変だと思うが。