認知症vsJR

先日、最高裁で、認知症の人が電車にひかれた場合に遺族に賠償義務があるかどうかの判断が出た。
1審・原審の判断を変更して遺族には賠償義務がないという判断となった。
結論が出されてみれば落ち着きどころということになろうか。
 
もっとも理由づけを見ると多数意見と少数意見に分かれており、さしあたって
今後の実務でも微妙なところがある判断であったとみることができよう。
 
実務上おそらく重要な点は、いくつかありそうだが
 
成年後見人は法律行為を行うものであって直ちに民法714条の監督義務者にならない。
 (心情配慮義務は事実行為として現実の介護や行動の監督を求めているものではない。)
 として、成年後見人の義務範囲を明確に限定した点は重要だろう。
 この判断のおかげで、専門職成年後見人は、過重な負担を負わされる危険性を回避できるように思われる。
 
・法令上の根拠が無くても民法714条の監督義務者に準じる者、すなわち、同条が類推適用される「準監督義務者」という存在がありえることが明確に示された。これは事情を総合考慮して該当性を判断すべきものであると解されることになったのも大事な点に思われる。
 
 さて、「別居の長男」について、事実の当てはめ部分だが、整理すると、どうも次のとおりとなる。
多数意見:準監督義務者に該当しない。
岡部・大谷意見:準監督義務者に該当するが、監督を怠らなかったと認められる。
 (岡部と大谷は理由づけを異にする別個の少数意見である)
 
 この点からすると、義務主体の範囲に関する判断はなお難しい(広狭ありえる)。
 義務者になる場合に、義務懈怠とならない程度の行動はどれくらいのものか、というのも不明確ではあろう。
 
 以上がとりあえずの雑感だが最後にど素人的な話をひとつ。
 本件の認知症者(ひかれた人)は、1審によると
不動産を除く金融資産だけで5000万円を超える多額の財産を有するものである。
なるほど、本件のような被害者がJRのような大企業の場合にはいかにも大企業側が大人げなく見える。
 
 しかし、被害者がJRなどでなく、児童などの弱者であった場合にはどうか。
多額の財産を有する者が、その生じさせた損害を埋め合わせるのに一部財産を供出するのは
心情としてありえることではないだろうか。すなわち、遺族が、困窮する被害者側への損害を免れた上で、多額の財産を山分けするという構図は、素人的には腑に落ちないものになるかもしれない。
 法的には両者は分けて論じられるべき問題である。しかし、多額の財産を有効に利用すれば被害を防ぎ得たような場合を想定すれば、認知症患者のために多額の財産を充てることなく大きな被害結果を生じさせたときに遺族に多額の遺産を回さない構成を検討する余地はないものだろうかと思ってしまう。
 その意味では、今回、多数意見は準監督義務者に該当しないと判断したが、少数意見のように準監督義務者に該当するとしたうえで、監督を怠ったか否かの観点で賠償義務の存否を判断する方が魅力的な見解にも思われてくる。
 まあ、ざっくりと事案にせっしてざっくり考えただけのたわごとである。