朝日新聞globeより

ノーベル賞授賞式に向かうチャーター機が、
>物理学賞と平和賞の受賞者らを乗せて離陸した。あなたも同乗者だ。
>しばらくしてパイロットが「航路の途中に乱気流がある。着陸地を変更しては」と言い出した。
>あなたは、次のだれの判断を重視すべきだろうか。
>(1)パイロット
>(2)最も知能指数の高い物理学者
>(3)調整能力の高い平和賞受賞者
>(4)全員による多数決

さて、どれを選ぶだろうか?
私が乗り合わせた一員なら、ともかくパイロットの判断を優先してもらいたいと思うけれど。
さて、記事によるとその選択の意味は次のとおりだという。

>(1)を選ぶことは、専門知識のある官僚の判断を尊重することに似ている。
>(2)はエリート支配に、
>(3)は合意形成が得意な黒幕(政治家)の決裁に従うことに、
>(4)は民主主義に、それぞれ似ている。
>旅はどうなるだろうか?

旅として考えるなら、生命のかかったその瞬間を、
知能指数の高い物理学者にも、調整能力の高い平和賞受賞者にも、全員による多数決にも
ゆだねたくないと思う人が多いのではないかと思う。
記事では、パイロットが楽をしたいためにそのルートを忌避しているという可能性を挙げているが
それはいかにも弱い気がして、採用したくない。

それはなぜかと考えると、
・この事態では最悪を回避したいこと
・専門的技術者の知見が必要不可欠な場面であること
・記事が想定する問題があれば、事後的な損害賠償や罰則等により意図的な過ちは事後に修正できること
などが理由になるのではないかと思った。

そうすると、これらの条件(最悪を回避し、専門的知識が要求され、事後的修正が可能なもの)が
満たされる限りでは、官僚制度(テクノクラートによる運営)はかなりのパフォーマンスを発揮するように思える。

みなさんはどう考えるだろうか?