朝日新聞社説(2009年1月14日)最高裁 密室から解き放つとき

朝日新聞の社説の要旨は、次のような感じ。

最高裁人事には選考方法が定められていない。
これまで最高裁判事の出身枠(法曹三者、官僚、法学者)が固定されており、
そのうち法律家出身は長官の推薦してきた候補者を内閣が追認してきた実態があった。
最高裁の人事については、多彩な人材の中から国民の目に触れる方法で先行されるべきだ。
内閣のもとに任命諮問委員会を作り、複数の候補者を選んで内閣に答申する
というかつて出された改革案を含め、国会は検討に着手すべきだ。

これを読んで気になった点をいくつかあげる。
ひとつは、憲法上、内閣に指名・任命権限があるものを
国会で検討して変更できるのかという純粋に法的な問題。
つまり、内閣が自発的に委員会を設置するなら全く問題ないが、
国会が内閣に対して諮問委員会を設置させて、委員の選任は誰がどうやるのか分からないが、
選べる候補者を限定させてしまうのでは、実質的に内閣による指名任命権が制限され
憲法上許されるかという問題である。

次に、選任の仕方を、慣例の枠に納めて、
法律専門家を中心とした形で扱っていたものを、
国会なり内閣での選任権を強化(回復)するということは、
比較的、非政治的な選任であった最高裁人事を
はっきりと政治的な方向に傾くのであり、
国民の目に触れさせるという点が強調されるとすれば、
世論の声という多数決的な選任により近づく可能性もある。

社説では、アメリカは連邦最高裁裁判官については、
大統領に指名権があり、上院が承認権を持っており、公聴会などで審査されてきている点を指摘する。
しかし、アメリカ合衆国は、州の上に連邦があるという連邦制を採用しており、
日本のような一元的な国家と異なる。
また、アメリカでは民主主義というのはとても重視される価値であって、
連邦裁判官は下級審であっても選挙で選ばれたりするような国柄である。

これに対して、日本は下級審の裁判官は、選挙によらず選ばれており、
その点について、国民からほとんど異議は出されていない。
裁判員制度に否定的な意見が多いことなどにも見られるように、
国民性として、専門的なことは専門家に任せて頑張ってもらうという側面が強い。
そして、裁判所は、民主主義を補完するものとして、
多数決に従うというよりも、時に少数者の人権を保護するという自由主義的な立場を意識する存在
ということがかなり是認されてきていると思われる。

人事制度を改革することは、司法の政治介入、司法の多数決化の側面があり、
これまでの土壌とずれていく面があることが気になる。
社説の意図するところがどこまでなのか分からないが、
今後、与野党の入れ替わりが激しくなっていくと、そのときどきの政権が
自分の政党のひそかなる支持者を積極的に裁判所に送り込むという
アメリカ的な選任に変わっていくことになるかもしれない。
そういったことまで考えた社説なのだろうか?

ところで、こういった見地から意地悪く最高裁判事の人事を見た場合、
2008年11月下旬に就任した新長官の任期は約5年8カ月あるのであって、
実は、一度、与党が負けてもすぐに最高裁長官を挿げ替えられないように、ということで
14人抜きをさせたのかもしれない、という指摘もできるだろう。
(単に任期の長さと政治状況を勝手につなぎ合わせただけで、根拠の全くない推測なわけだが。)
そうだとすると、最高裁判事の選任は非政治的であるというのは、
すでに前提として崩れていることになる。
物事を「政治的に」考えると、裏の裏となってしまい、いろいろ難しい。