講話を聴いて

先日、講話を聴くために上京。
先達の例を引いて、心構えを語るというのは、よくある内容。
その先にあるものを、どうつかむのかという点にはてっとり早いマニュアルはないのだろう。
ということで大して話も覚えていないが、印象に残ったものを一つあげよう。
大意はおそらく次のようなものだったかと思う。

>‘○○○は、弁解せず’という。
>これは、当初示した表現で十分だという自負を示す、
>あるいはそういう心構えをもつということであるように受け取られている。
>しかし、これは、実際にはそんなものではない。
>むしろ、いくら弁解しても、当初の表現が補足されて完全になるわけでもない、
>人はむなしい弁解をしてしまいそうになるが、それは卑しいから止めなさい。
>そういう意味である。

人は自信がないときほど多弁になって、見苦しく言葉をつぐ。
しかし、それは、実にみっともないから我慢しないといけないな、と胸にずっしりと来た。