古典における裁判官像

「すぐれた裁判官というものは、若い人でなく年寄りでなければならず、不正がどのようなものであるかを、自分自身の魂のなかにある自分自身のものとして認識したのではなく、他人の魂のなかの他人のものとして、それが本来どのように悪いものであるかということを、自分自身の経験ではなく知識を用いて見抜くことができるように、長い間の訓練をつんだ人でなければならないのだ。」(プラトン「国家」)