責任能力の歴史

最近世の中では、刑法39条に対する風当たりが強いので、その歴史についてごく簡単に調べてみた。
(もちろん、立法論として、39条でなくとも収容判決の類があれば、
あるいは違憲ではないかもしれないと思うが。例えば、アメリカのある州では、
責任無能力=無罪という規定を廃止したが、収容・治療の規定を設けているから
合憲という趣旨の判断が出ているらしいし。)

東アジアでは、古く漢代まで遡って確認でき、
少年・老年に対する限定責任能力を認める規定があるらしい。
また、唐代には、唐律という規定で「年70以上、15以下及び廃疾の者が流罪以下を犯したときは
贖(罰金)を収める。80以上10以下及び篤疾の者は、反逆や殺人を犯し死罪に当る場合でも、
上請しなければならない。盗及び傷人は贖を収める。他はその罪を論じない。」とされている。
日本でも、大宝・養老律令で継受されたらしい。名例律(総則部分)では、
「70以上16以下」と変更されるに留まっているらしい。
近世でも徳川幕府は御定書百箇条で少年なり乱心について限定責任能力の規定をもうけているそうだ。
(保安を主とする処分だったようだ)

他方、西洋では、古代ローマ法では、責任能力を行為能力として捉え、
精神病者もまた行為能力がないものとされたらしい。
プーフェンドルフという人が責任概念のさきがけとなったらしいがそこら辺はどうもよく分からない。
ともかく、その後の、フランス刑法(1810年)64条に、
行為の時心神喪失の状態にあった者を無罪とする規定があるそうだ、ということくらいだ。

そういったわけで、どうも古くから責任能力の概念は処罰に関わってきたらしいとうかがわれる。
近代の徳川幕府米沢藩について研究している人もいるらしいが文献にあたるのが面倒なので、
これらは省略してしまうが。

何はともあれ、「責任能力の制度は、古い歴史をもっている。しかし、
近世の刑法においてその制度が飛躍的に発展した。それは生物学としての
精神医学が発達した結果であり、それとともに人間の心理作用についての
理解ないし了解が深まってきたことが、その直接の動機となったのである。
18世紀以降の精神医学の発達がなかったら、どんなにひどい精神病者であれ、
その可罰性を全面的に否定するがごときは,思いもよらぬことだったであろう。」
(ジュリストNo367の90ページ)
ということは、心しないといけないと思う。